モノを減らすメリット
わかっているつもりでわかっていなかった
こんにちは! ステル日記管理人のステルです。
今日は、私が、「ああ、モノが少ないって大事だなあ」と思った話を書きます。
ちょっと長くなりますが、よろしければおつきあいください。
そもそもニガテ
小さい頃からおかたづけがニガテでした。
母から、「そこ、ちゃんと片付けなさいっ!!!」と怒られた数をトータルすると、ギネスに載れるんじゃないかな、という感じです。
実家暮らしで1人部屋だった中学・高校の頃も、気がつくと足の踏み場がない。
母に50回くらい怒鳴られて、しぶしぶ片付ける、という塩梅。
私は、わりと完璧主義なところがあるのです。
一旦片付けると決めてしまうと、前の部屋の状態を知る誰もがびっくり仰天するくらい、きれいで整然とした部屋に仕上げることができます。
だがしかし、持久力がまったくない。
せっかく片付けても、結局すぐに元の状態にもどってしまうのです。
そんな日々をくりかえしていました。
さすがにマズイ
大学入学を機に一人暮らしをはじめて、状況は悪化しました。
要因のひとつとして、一人暮らしの部屋には、部屋が瀕死の状態のとき、50回怒鳴ってくれる母がいない、ということがあります。
これはいけません。
あまり機能していなかった歯止めでも、ないよりあったほうがマシなんだな、とぼんやり考えてたりしました。
考える(だけの)私
二十歳を過ぎる頃から、だんだんと、「どうして私の部屋は、すぐにぐちゃぐちゃになるんだろう?」という問題に向き合わざるをえなくなりました。
だって、私の帰る部屋は、私がぐちゃぐちゃにした部屋であり、毎日その光景を見ないといけないから、この問題からうまく逃げられないのです。
まあ、18歳から2年間は、見て見ぬフリ、という作戦で、逃げ切っていたんですけどね。
メディアのお片づけ特集を気にする(だけ)
おりしも、「片付けられない女」「ゴミ屋敷」「汚部屋」などの言葉がではじめたころでした。
「どうしたら部屋がぐちゃぐちゃにならないか」問題は、ちょっとした流行のように、いろいろなメディアでとりあげられていました。
私は、なるべくそういう特集に目を通していたのですが、いっこうに現状は改善しません。
おそらくこの頃、「片付かないのはモノが多いから。モノを減らせば、散らからない」という思想に出会ったと思います。
ただ、このときの私には、それがどういうことなのか、言葉の意味はわかっていても、実感としてわかっていませんでした。
ダメ社会人時代
さて、時は流れて、私は社会人になりました。
大学生の頃よりは、多少、混沌とした部屋との付き合い方がうまくなっていました。
もちろん、基本的な問題はなにも解決していません。
つまり、人が来るときだけ慌てて体裁をつくろう、というスキルが無駄に高くなりました。
トイレのモノが減っていった
ここで、トイレの話をします。
私は、大学入学時、初めての一人暮らしのため、トイレ用具一式をそろえました。
- 便座カバー
- 便座のフタカバー
- 床に敷くマット
- トイレットペーパーに付ける布カバー
- トイレ掃除用ブラシ
- トイレ用ゴミ箱
- 買い置きのトイレットペーパー置き場&トイレットペーパーを置く棚
- 買い置きの生理用品置き場&生理用品収納かご
- そうじ用品の詰め替え用各種&それを収納するカゴ
だいたいこんなかんじ。
ほぼ、実家のトイレ環境にならったものです。
これが、10年も一人暮らしをしていると、いつのまにかこんなかんじになっていました。
- 便座カバー
- トイレ掃除用ブラシ
- トイレ用ゴミ箱
- 生理用品収納かご
かなりモノが減っているの、おわかりいただけるでしょうか?
モノが少ないと快適
だいたい10年くらいかけて、トイレのモノが少なくなっていったのですが、これはそれほど意図的に起こったではありません。
それぞれ、必要性が低くて、自然となくなっていったモノが多いです。
どんな感じで、彼らがリストラされていったのか、書き出してみましょう。
便座のフタカバー
すぐに毛玉ができるし、マメに洗うほうではないので、すぐにダメになる。
最初の頃はしぶしぶ1年くらいで買い替えてんですが、何度目かの引っ越しを機に、取り付けること自体をやめたところ、なんの問題もなかった。
むしろ、フタカバーがないほうがそうじがしやすい。
床に敷くマット
これもすぐダメになってしまい、捨ててしまった。
スリッパだけにしたら、そうじがしやすい。
現在はスリッパもない。
床にモノがないと、すごくそうじがしやすい。
トイレットペーパーカバーに付ける布カバー
これはわりと耐久性があるのですが、それでもダメになる。
ある日、部屋に遊びに来ていた母に、「あのカバーとっちゃえば? いらないよ」と言われて、ええー、とか、んんー、とか、てきとうに流してたんですけど、気がついたら捨てられていました。
そのときは、おいー勝手になにすんのさーと不満に思ったのだけど、なくなってしまっても全く困らない。
というか、カバーにカバーを付けるというナンセンスって、よく考えたらおかしい。
布カバーが無いほうが、ホコリに気づいたときにさっとふけて、そうじがしやすく、しばらくは付ける予定はありません。
ブルーレット置くだけ
すぐに詰め替え用を買ってこなくちゃいけないのが面倒で、というか詰め替え用をつめかえないまま放置する日々が続いて、本体ごと捨ててやった。
無くなっても困らない。
ふつうにそうじをしていれば、なんの問題もありません。
この商品は、もっと使用回数が多いトイレ(複数住んでいる、お店など)の場合に、有効なんだと思います。
一人暮らしだと、トイレの使用回数が少なくそこまで汚れないので、必要性はさほどない。
買い置きのトイレットペーパー&トイレットペーパーを置く棚&買い置きの生理用品
広い部屋に引っ越し、買い置きのトイレットペーパーと生理用品を、押入れにつっこむようになりました。
これまで、トイレ内の空間のかなりの部分を占めていたモノなので、ないとトイレに入ったときの景色が全く違う。すごく新鮮。
これは視覚的にけっこうインパクトがあった。
そうじ用品の詰め替え用各種&それを収納するカゴ
若い頃は、詰め替え用が無くなって買いに行かなきゃいけないのが面倒で、つい、多めに詰め替え用を買って、トイレに置いていました。
だんだんと、無くなったら買う、というサイクルになっていったところ、そのほうが断然よかった。
詰め替え用って、そんなにしょっちゅう詰め替えない。
詰め替え用を半年〜一年自分のトイレに置いておく意味がないことを悟りました。
実感すると行動しやすい
こんな感じで、私のトイレのモノはだんだん減っていきました。
そして、私は、ふと、「モノが少ないって、いいな」と思ったのです。
たぶん、以下の理由が複合的に影響しています。
- 無理やり減らしたのではなく、ゆっくりと自然にモノが減っていったこと。
- トイレという狭い空間だったので、ビフォーアフターを実感しやすかったこと。
- トイレは毎日必ず使う空間なので、モノが少ないメリット、つまり使い勝手の良さやそうじのしやすさなどを、実感しやすかったこと。
いままでわかっているつもりだったことが、あるとき急に、本当にわかったりする。
そういうことが、私は多いです。
そうしてわかったこと、つまり実感は、行動の裏づけになります。
何が言いたかったか
何が言いたかったかというと、トイレのモノがいつの間にか少なくなったことで、モノが減ることのメリットを実感したんだよー、というかんじです。
たぶん、ふつうの人は、もっとかんたんにそういう実感を得ているんだと思います。
まあ、そういうふつうのことが、なかなかわからない人もいるんだねー、という話でした。
もしも何かの参考になるようでしたら幸いです!